老い支度~Nice Things~

56歳。『今の自分が一番好き』な私でありたい。

爆弾低気圧一過

いながわの栗剥き偲ぶ君に似た心の渋皮削り取りたく

 

先日 お墓参りに行きました。

2012年10月に86歳で亡くなった父。

パーキンソンを患い長年の入院生活の後生涯を終えました。

 

お墓参りからの帰りに寄った道の駅で買った大量の栗を剥きながら

いろんなことを思い出し時に涙が流れ

詠んだこともない短歌が浮かんだので書き留めておきました。

 

父もまた心を見せない人でした。

人が大好きなのに表現できない。大切に思ってるのに伝わらない。

 

父が亡くなったとき

娘がブログかフェイスブックに父のことを『恐かった』と書いていましたが

あんなに可愛がってもらってあんなに大切にされてたのに何てこと言うんだよ・・

と哀しく情けなく感じたことを思い出します。

 

私も年々父の要素が強くなってます。

というより家族を含む人間関係に無理しなくなったという感じですね。

友人は淘汰されていき煩わしいところは関わらないようにして

自然と人付き合いの断捨離が完了しつつある というところです。

それは楽な反面時として寂しい思いにも駆られますが。

物事どんなことにも陰と陽があるのだからと割り切っていこうと思います。

 

本当に縁のある人とは無理をしなくてもがんばらなくても繋がっているのだから。

 

 

昨夜は川島なお美さんのお通夜でしたね。

同世代として胸が痛い思いです。

最後まで女優だった言われることが彼女の幸せだという趣旨の報道ですが

本当は泣きわめいて恨みつらみをぶちまけて大騒ぎしたかったんじゃないかな。

なんで死ななきゃいけないのーーー!!!って。

なんだかそういうとこなんとなく内に秘めるのが美学みたいなとこあるんです。

私たちの世代。

ひとくくりにするのはちがうかもですが。人それぞれではありますが。